このコーナーは、私が気にかかっている事を写真と共に気ままに書かせて頂くものです。
わが家は、溝咋神社の社有地であったところに建てられていた家を買って、3階建ての家に建て替え住み始めて凡そ50年余りになる。
だから、家のすぐ脇に神社の鳥居がある。
社伝では、第10代崇神天皇の頃に創建されたとしている。
当社は祭神節にあるように三島溝咋耳一族を祀っており、『古事記』『日本書紀』の諸伝承との関係が指摘される。
『日本書紀』によれば、祀られている媛蹈鞴五十鈴媛命が神武天皇の后になったと記されていることから、現在五十鈴町の町名が生まれたようだ。
上宮跡とその周辺は「溝咋遺跡」にあたり、1997年(平成9年)に行われた発掘調査では、古墳時代の小区画水田や奈良・平安時代の遺物、また中世後半代の溝咋上宮跡と見られる方形区画の遺構が検出されている。
また嵐勘十郎の有名な「鞍馬天狗」の映画撮影もここの松並木の参道が立派だった頃にされたとか。
いまは、その松並木は、老木となり多くが松くい虫の被害に合って、切り倒された。